心の扉

Bizmatesの学習プログラムのひとつ、Bizmates Discoveryで「Temporary friend」という題のエッセイを選んでみた。

飛行機で偶然隣り合わせたひとに、“Are you here on business or for pleasure?”と話しかけられ、おっかなびっくり応対しているうちに、そのひとと3時間近くも話をしてしまった。着陸とともにその一時の友だちとは別れた、という筆者の体験談をもとに、自らの体験を言葉にしてみるというもの。

事前に何を話そうかと思い巡らしてはみたものの、体験がほぼ「なし」に近く…トレーナーとの会話もはずまず、レッスンが正直きつかった。

でも、不思議といろいろ気づきがあった。

一人で旅したのは一度しかなかったこと(それも日帰りで)、自分から知らないひとに敢えて話しかけたりしていないこと、映画「ビフォア・サンライズ 」のようなシチュエーションにちょっと憧れていたこと…

もっと心の扉を開いて、自由に一人旅してみたり、偶然の出会いを楽しんでみてもいいのかも。と思った。

I don't normally start a conversation myself.

こんな自分をちょっと変えて…

I start a conversation myself at times when traveling alone.

くらいでいきたい。

 

飛行機に乗りたくなってきた。

'undateable'ではいたくないから

少し前のことだけど、アンドプレミアムの2018年5月号で、「フランシス・ハ」の主人公フランシスが、「ワーク・イン・プログレスな女性」として紹介されていた。つまり、自分の目指すものを手に入れようと努力しつづけている女性、ということらしい。
主人公を演ずるグレタ・ガーウィグを始めて知ったのは、2017年のアカデミー賞。女優なのに、監督、脚本にも手を出しているパワフルな女性、という印象が残っていた。どんな女性なのかな?フランシスにも、グレタ・ガーウィグ自身にも素朴に興味がわいた。

映画をみはじめて、はじめフランシスが痛々しすぎて、見てられない感じ。ニューヨークでプロのダンサーを目指しているけれど、全然芽が出ないし、恋人やルームメイトとの関係もうまくいかず、、、ただの夢追い人が、無いものねだりをしているような感じと言えばいいのか。

男友だちから'undateable'(非モテ)だよと言われていて、自分でも自身をそう表現したりしている。

この無いないものねだりって、よくある状況かもしれない。憧れの地位や人間関係があっても、ただ欲しいと思っているだけで、具体的に獲得する努力をしていない状況。むしろ努力しない言い訳をしたりしている。(「時間がない」とかが多いかな、わたしの場合。)

そんな人って確かに魅力的じゃないし、ほんと'undateable'(笑)、いっしょにいてもつまらないかもなぁと妙に納得してしまった。

フランシスは、最後、夢見たダンサーではないけれど、遠回りしながらも、かろうじてダンスの世界に身をおき、第一歩を踏み出す。
現状が満足できる人なんて早々いない。だから、もがき続けてひとつずつ獲得していくしかない。例えば、仕事で必要だけど知識が足りてない分野の勉強をする、とか、憧れの作家の本の感想を書いてみる、とか…本当に小さな小さな一歩から。

つい近道したくなるけれど、、、でも、フランシスを見ていて、やっぱりもがくしかないし、今の自分のやり方で間違っていないと思えた。がんばろう。

フランシス・ハ(字幕版)

理解できなくていい Again

ノーカントリー」からのコーエン兄弟つながりで、「ファーゴ」を鑑賞。女警官が最後に漏らす一言、'I just don't understand it.'(理解できないわ) に思いが集約されている感じ。ノーカントリーと根底にある思想が近い気がする。ただ、強烈にそれが伝わってきたというよりは、ノーカントリーを見た後だったから、気づけたのかもという感じ。
殺人鬼も、でっち上げ誘拐で身代金をがめようとするおじさんも、虚言癖のある日系アメリカ人も、理解不能として処理するしかないと思えるのだけど、もしノーカントリーを見ていなかったら、その境地に至れなかったかも。「この映画ヤダ…」って拒絶していた可能性が高い。

いずれにしても、でっち上げ誘拐のような一大計画なのに、首謀者のおじさんの考えが浅くて頼りなくて、その感じを完全に醸し出しているウィリアム・H・メイシーの演技が素晴らしいと思った。あと、ミネソタ州の雪深い景色やレストランやバーのシーンを見ていたら、アメリカも旅してみたくなった。そもそも車社会、銃社会という、日本(主に都市部)とは環境が違いすぎて、気軽に旅する範囲を超えているのだけど、だからこそ異国として惹かれるものがある。文化としてはたくさん影響を受けているけれど、やっぱり遠い国だよなぁ。

バイキング形式のレストランで、女警官とその夫が、ポテトサラダや肉だんご、グラタンぽいものやらをたんまりと盛り付けて、もぐもぐ食べるシーンとかすごい美味しそうで、普通な感じがして、変な人だらけの中、安心して見れる好きな場面だった。
グアムのホテルで、ディナーバイキングをしたとき、あんな感じだったかも。国際情勢が落ちついてきたら、またグアム辺り行ってみたいな。

ファーゴ (字幕版)

 

この世界の一部になる

2018.7.26の日本経済新聞の「こころの玉手箱」で、いすゞ自動車の細井行会長が好きな映画のひとつとして紹介していた「No country for old men」を鑑賞。アメリカとメキシコの国境地域で繰り広げられる麻薬と金を巡る殺戮劇で、普段は見ないジャンルではあった。
見終わった直後、何が言いたいのかわからず、ちょっと混乱した。ただの殺戮劇とも思えず、もやもやとした思いが残った。でも、同時にこの映画は好きだとも思った。

何度か見返すうちに、冒頭の保安官の独白が伝えたいことかも、と思いはじめた。
 
引用すると、
I don't want to meet somethin' I don't understand. A man would have to put his soul at hazard. He'd have to say: 'O.K., I'll be part of this world.'
理解し難いものには遭遇したくない。人は自らの精神が危険にさらされたとき、こう言わざるをえないだろう。「いいだろう、この世界の一部になろう」と。

先日伊坂幸太郎氏の「死神の浮力」を読んだ。その中で引用されていた「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきではない」に、偶然にも共通する思想を感じている。
感情の起伏のない殺人鬼も銃社会も自分としては受け入れ難い。でも、私には排除することもできない。受け入れるのとは少し違う気もするけれど、この世界の一部になるしかないのかもしれない。そうすることで、この世界は少しずつよりよい方向へ変化できるかもしれない。そんな風に感じている。
ノーカントリー (字幕版)