セイジ・オザワ 松本フェスティバル2019

セイジ・オザワ 松本フェスティバル2019に行ってきた。

サイトウ・キネン・オーケストラの存在を知ったのは、村上春樹の(おそらく何か音楽関係の)エッセイだったと思う。読後、しばらくその存在を忘れてしまっていたが、数年前の冬、松本への旅をきっかけに思い出した。タクシーで浅間温泉へ向かっていたら、運転手が「ここは、夏は小澤征爾さんの音楽祭で賑わうんですよ」と教えてくれた。宿泊した和風な温泉宿でも、クラシックの生演奏を気楽な雰囲気で楽しめるという、意外な体験もあり。ああ、ここは音楽を愛する土地なんだなという印象が残る旅になった。

そして、小澤征爾氏とサイトウ・キネン・オーケストラの音楽をいつか聴いてみたいと思い始め、今回やっと夢が叶ったのである。残念ながら、マエストロは昨今の体調不良のため、現在は総監督としての役割に専念されている。でも、28回目の開催を迎える今回、行くことができて本当によかった。音楽は楽しい、そんなことを純粋に思い出せたのだから。

今回のプログラムは、シルベストレ・レブエルタスの「センセマヤ」、モーツァルト交響曲35番「ハフナー」、そしてチャイコフスキー交響曲6番「悲愴」だった。個人的に一番衝撃を受けたのが、1曲目のセンセマヤ。初めて聴く音だった。チャイコフスキーの感情がほとばしるような美しい旋律ではない、モーツァルトのあまりにもモーツァルト的な旋律とも違う。前衛的というのか、現代的というのか。知らない音色なのに、ストラヴィンスキーほど理解ができない訳でもなく、リズムや音を受け入れられる。むしろすごくかっこいいと思った。個人的なイメージではあるが、ー人と人との争いで、世界が不穏に躍動しているー そんな雰囲気を感じ取った。コンサート後、調べてみたら、シルベストレ・レブエルタスは、1900年代前半に活躍したメキシコの作曲家とのこと。今回の指揮者ディエゴ・マテウスベネズエラ出身。指揮者にとっては、自国に近い国の音楽への愛着もあるのかもしれない。

あとチャイコフスキーの悲愴は、その曲を把握していなければ拍手のタイミングが難しい。明らかに3楽章がフィナーレという感じ。それなのに、その後にあの絶望的な4楽章が用意されているなんて。個人的には、チャイコフスキーのドラマチックさについていけない時も割にあるのだけれど、今回の演奏は、ジェットコースターのような感情の起伏が見事に表現されていて、純粋に素晴らしいと思えた。チャイコフスキーは、家で皿洗いや新聞を読みながら日常の延長で聴いているとその良さが解りにくい、と思う。

アンコールの曲も華があって、ラストを飾るのにふさわしかったと思う。曲名がわからなかったけど、東欧の民族音楽っぽいなと思った。ショパンポロネーズのような。誰か曲名をご存知の方がいたら教えていただきたい。