村上春樹の「蛍」を読んで

先日、村上春樹の「蛍」を読んだ。読んでいる途中、ノルウェイの森のもとになった話だと気がついた。ノルウェイの森20年近く前に読んだけれど、この短編のほうがずっと好きだったな。ノルウェイの森を読んだ後、深い闇、あるいは喪失感のようなものが心の奥に残ったのを覚えている。「蛍」は、その一番心に残った部分だけで構成されている感じがした。どんなに否定しても、恵まれた境遇であっても、少なくとも自分の心の中に存在するこの闇のようなもの。そんなものは知りたくなかったなと時々思い出す。「蛍」を読んで、やっぱり存在するんだな、と改めて気づかされたけれど、その描写の繊細さには感動するものがあった。

私が、この喪失感を具体的に感じたのは、従兄弟が亡くなった時だったと思う。何かがきっかけで彼女はだんだんと痩せていき、ある時から小学校にも行けなくなってしまった。少し元気を取り戻しかけていたある日、散歩に行くと出かけて、ちょっとした事件にあって亡くなってしまった。その出来事が、悲しかったと言うよりは、行き場のない喪失感として心の奥に残っている。彼女は、散歩に行ったはずだったのに。そこで思考が止まり、うまく処理ができなくなり、心の闇にもどってしまうのだ。

主人公の彼女が誕生日に言う「二十歳になるなんて、なんだか馬鹿みたいね」と言う台詞が印象に残る。心の中の闇が残ったまま、物理的にはきちんと歳をとるし、社会も動いていく。表層の変化に内面がついていけない、そんな意味なのかもしれないなと個人的には受け取った。