英検準1級の準備

今年中に受けようと思っていた英検準1級。まだ余裕で挑めるほどの実力はなさそうだと思い、過去問には取り組んでいなかったが、今日暇だったので、2023年の一次の分をやってみた。

 

Reading 36/41

Listening 17/29

 

で、リスニングがあんまりできなかった。作法もわからず素でやったのでこれが実力なのだろうけれど、Readingが終わった時点で、なんか集中力が切れちゃった感じになってしまったのが一番の敗因だと思う。もうこれやりたくない、、みたいな気持ちになってしまった。音声が読まれるスピードはゆっくりめなので、もう少し問題に慣れて、集中力を保てるようになりたいかも。

Readingも、歴史物がちょっと読みづらかったので、もう少しWho was シリーズとか読もうかなぁと思った。あと、単語問題で、正解を選ぶ際に消去法(圧倒的に違うものを除外して選ぶ形)になってしまったのが、ちょっと自分的にイマイチだなと思った。

 

 

最近聴いている音楽

坂本龍一のプレイリスト『Funeral』を最近よく聴いている。自分のお葬式のために作ったプレイリストで、本人が選んでいるので、死を偲ぶ音楽という感じはしない。きっと、ご自身が生前好きだった曲、影響を受けた曲や死を間近にした時に寄り添ってくれた曲などが、ランダムに集められたものなのだと思う。

 

気に入っているのは、サティのジムノペディオーケストレーションされたもの。ドビュッシーの編曲らしく、サティのシンプルなピアノの旋律に、少しだけ装飾が施され、華やかさが加わっている。いつか生演奏でも聴いてみたいと思っている。

 

サティのエレジーという歌曲も美しい。自分はキリスト教徒ではないのだけれど、バッハやモーツァルトのミサ曲など、少し哀悼の念がこもったような、祈りを捧げたくなるような音楽に惹かれることが多い。サティのこの歌曲もそういう曲だと思う。こういうタイプの曲は、バロックとかその後の時代とか、教会と音楽のつながりが今よりも強かった時代に作られたと思っていたけれど、比較的新しく、現代的ですらあるサティが、作曲していたことに少し驚いた。

深夜。ジンリッキー

ある夜、仕事が23時ごろ終わり、何か飲もうと思ったものの、いつも飲んでいるワインもビールも缶チューハイもなぜか飲みたくなかった。焼酎もちょっと違うし・・・こんな夜くらい禁酒しようかなと思ったけれど、軽く酔いたくもあった。ふと、友だちがジンの蒸留所に行ったと言っていたのを思い出し、ジンにしてみようと思った。ジンリッキーというカクテルが簡単に作れそうだったので、これにしてみることにした。

 

コンビニにジンはないか、と思いつつ、とりあえず行ってみたら、ふつうに23銘柄が売られていた。1,000円程度でボンベイ・サファイアを手に入れる。その後、24H営業のスーパーに行ったら、ライムもふつうに手に入った。深夜でも何でもそろうことに驚きつつ帰宅し、ライム1/4をグラスにしぼり、ジン35ml、炭酸200mlの缶(グラスに入るだけ)を混ぜて、飲んだ。爽やかでめちゃおいしい。甘くなく、お腹いっぱいにもならず、ライムの酸味がさっぱりとする。ジンとソーダだけだとちょっと薬草っぽい感じがしたけど、ここにライムの果汁が加わるだけで薬草感が中和されて、とてもおいしい。深夜に気分転換に飲むのにぴったりなカクテルだった。ライムは1/2くらい入れてもいいかもしれない。

セイジ・オザワ 松本フェスティバル2023

セイジ・オザワ松本フェスティバル2023に行ってきた。プログラムは、レナード・バーンスタインウェスト・サイド・ストーリーから「シンフォニック・ダンス」、ジョン・ウィリアムズの「チューバ協奏曲」、プーランクの「スターバト・マーテル」(合唱曲)、そして最後はラヴェルの「ダフニスとクロエ」から第2楽曲。どの曲も初めてだったが、特にバーンスタインのシンフォニック・ダンスとラヴェルのダフニスとクロエがすごく良かった。

 

バーンスタインのシンフォニック・ダンスは、クラシック音楽という枠にありつつ、その枠は超えていると思う。自分は知らなかったので加われなかったが、観客が「マンボウ!」と叫ぶタイミングもあって、そういう部分にライブ感があり、リズムにもジャズっぽさがある。ジャズ的な要素がうまく取り入れてある一方、オーケストラの古典的な楽器に対する敬意も感じられて、何より楽曲全体がおしゃれで華やか。さすがバーンスタイン!だと思った。

 

ジョン・ウィリアムズは、あまり聴いたことがない、と思っていたが、大嘘で、数々の映画音楽を作曲するものすごい人。E.T.スターウォーズも何もかもといっても過言ではないくらい、この人が作っている。このチューバ協奏曲には、そういう映画音楽のクライマックス感はないけれど、チューバというマイナーな楽器に光を当てた、稀有な曲だと思う。実際、チューバという楽器に注目したのは初めてだった。

 

プーランクスターバト・マーテルは正直きつかった。合唱曲は、音に加え、歌詞の意味を理解したいと思ってしまうのだけど、キリスト教に疎いのと、歌詞が英語ですらないので、全く理解できず。。。アーメンやグロリアといった言葉は聞き取れたものの、そもそもの背景がわからないので、それらの言葉すら心に響かないという結果になってしまった。これは演奏家ではなく、聴く側の問題だと思う。しかし、同じ状況でもバッハの旋律なら、敬虔な気持ちが湧き上がってきたかもしれない、とは思う。プーランクにはそれがないのはなぜなんだろう?プーランクはメロディアスな一方、不安定な音色が挟まれて、個人的に聴いていて気持ちが落ち着かないのが、影響しているかもしれない。

 

最後のラヴェルのダフニスとクロエは圧巻だった。特に、1曲目の「日の出」は、とても綺麗な曲。指揮者のステファン・ドゥネーヴとサイトウ・キネン・オーケストラの紡ぐ音が美しく、どこまでも広がる草原、もしくは大海原に、朝日がさしてくるようだった。朝日がさしてきた気がした時、私はあまりにも美しくて、少し泣いてしまった。美しくて泣くとか普通はないので、自分でも驚いた。プーランクとは違い、ラヴェルの音楽では、全ての音が綺麗に調和しているように感じる。こんな曲を作れるなんてラヴェルはすごすぎる。

やめる決断

習い事と仕事について、完全に心が折れている。怒られたり、指摘されたりばかりで、全然楽しくないから、何のためにやっているのかがわからないと言う気持ち。でも、仕事をどんどん終わらせて、認められている人たちもいるし、習い事の方でも、上手い、上手い、と褒められている人もいる。

 

今更だが、努力する方向が間違っているんじゃないか?今の習い事は、子供の頃、上手にできなくて、一度やめている。それなのに、やっぱりうまくなりたい、と思って大人になって再開した。でも、元々子どもの頃から苦手だったんだから、やっぱりハンデがあるんだと思う。それよりは人よりもうまくできて、好きだったけど、何となくやめてしまっていたことに時間を割きたい。

 

仕事も、若い頃からできなくて、諦めるのが嫌でずっと頑張ってきたけど、結局認めてもらえないなら、やっていてもやり甲斐がないし、意味がないと思う。でも、習い事の方ややめればいいけど、仕事の方ややめてお金が入ってこなくなって、困窮するのも困るし、本当にどうしたらいいんだろう。

 

まずは決断が簡単な方、習い事の方からどうするかを決めたい。コロナ前までは順調だったのに・・・まさかこんな局面がやってくるとは思わなかった。

 

 

心境の変化

ちょっと心が折れ気味。もう一つの習い事の方が上達しない。先生から、上達していないと評価されているせいか、新しいこともやらせてもらえずで、そのせいも合って、飽き飽きしてきている。コロナ前からずっと同じことの繰り返しだから全然楽しめていないし、これやってて意味があるんだろうか?という気持ちすら抱き始めてしまった。

 

英語もスクールを代えて、ちょっと新鮮味が生まれて、今までできなかったことができるようになっている感じもあるし、同じことの繰り返しってよくないのかも。今年いっぱい続けて、特に変化もなければ、もう違う教室に行くのもありかも。

 

やめるのではない。やる環境を変えるのはありだと思う。

 

 

変わらず多聴三昧

毎日のオンライン英会話をやめて少したつ。やめても相変わらず慌ただしく1日がすぎているけど、睡眠時間が少し増えた。あと、料理をしたり、夫がやってくれていた家事ができたりもする。あとは、YouTubeSpotifyで英語の多聴に時間をとっている。まだ試してないけど、夕食後、何かしら音声を聴きつつ散歩するのもいいかもしれないと思っている。

 

YouTubeSpotifyでは、今までこんなに英語を聞いたことはなかったというくらい聴いている。まだ聞き取れる部分がそんなに多くないので、会社の昼休みとか、夜寝る前とかは、聴いているうちに寝てしまったりしている。でも、脳が疲れているから眠くなるのだし、何気にいい時間の使い方をしているのかも?と前向きに考えている。

 

読むより聴く方が、知らない単語に触れ、覚えるサイクルが早い気がする。昔から、読書よりも、ラジオや音楽など、聴くことを楽しんできたのが影響しているのか、行為として圧倒的にハードルが低くて楽な感じ。はやく日本語と英語が入り乱れる環境でも、どっちもスーーっと理解できるような耳になりたいなー。

 

発音クラスとYouTubeをエンドレスで

発音クラスをはじめてから、多読から多聴にシフトしている。YouTubeの犯罪ドキュメンタリーが面白いので、そればかり聴いている。字幕が出せて、スピード調節ができて、動画一本一本が短い、などの良さももちろんあるけど。発音クラス→YouTube→発音クラス→YouTubeのエンドレスサイクル、という名の沼に入っている感じ。このおかげで、多読は完全に中断してしまっているが、英語の音に対する感度が高まっている今は、耳からのインプットに偏ってもまあいいかなと思う。習った音が聴き取れるとすごく嬉しいしね。

 

犯罪ドキュメンタリーのチャンネルを教えてくれた英語の先生には、初めは聞き取れなくていいんだよ、と言われた。10%でもいい。何度も聞いていたら、だんだん聴けるようになるから、と。それを励みに、聴きたいものだけを聴くことにしている。

 

それにしても、これ、英会話より全然楽しいなぁ。会話したいんじゃなくて、誰かが語る面白い話を聴きたかっただけなのかも。笑。